0812会報

[膝の痛み]

本田 靖二

膝の痛みを感じたのは今から5年前の平成15年頃です。片足に体重がかかる時痛みを感じるようになりました。特に急な階段の下りとか石のあるデコボコ道の下りに強く感じました。

長い距離の下りになると膝のばねがきかなくなり、小さな石にでもつまづいて転んだり、駆け足で下りる場合は非常に辛い状態が続いておりました。

 もう歩けなくなるのではないかと悩んでいたとき、平成18年4月にNHKの「きょうの健康」という番組で膝の痛みについての放送を見ました。その時の先生が言われた事は、「痛くなったら早めに医療機関で受診してきちんと痛みの原因を知る」ということでした。早速、総合病院の整形外科で診察を受けレントゲンを撮ってもらいました。軟骨がすり減り骨と骨が直接あたって痛みがでる病気で病名は“変形性膝関節症”と診断されました。幸いなことにまだ初期で水も溜まっていないので痛みはとれると言われました。

 治療方法は2週間に一度高分子ヒアルロン酸を関節に注射します。その他に飲み薬と塗り薬をもらいました。高分子ヒアルロン酸とは、痛みをおさえる、軟骨の破壊を防ぐ潤滑油としての作用、膝の動きを改善するという効果があるとの事です。治療が始まり6回目の注射を打った頃、痛みはとれ完全に治ったように感じたので治療を終了しました。自分としては完治したと思い、毎朝2時間のトレーニングと山岳会の例会山行にも積極的に参加しておりました。

 それから2ヵ月後にはまた膝が痛くなり通院するようになりました。そのときの先生のお言葉は、「毎日のトレーニングは年齢的に無理である。週に一回は休むこと。石段の下りは避ける。膝の負担のないプールや芝生の上を歩く。症状を和らげる運動として大腿四頭筋を鍛えるよう」ということでした。とはいってもトレーニングを欠かす訳にはいかないので、以前より下りの石段を少なくしています。歩くときは病院のリハビリで調達したサポーターをつけていますが、これで下りが少しは楽なようです。現在は1ヵ月に一回通院し注射して塗り薬を貰っています。一度すり減った軟骨は再生不可能なので元のようには治りません。今はもう北アルプスも南アルプスも諦めました。里山ならどうにか5〜6時間は歩けます。これ以上悪くならないように、現状を維持出来るようトレーニングに励んでいます。

以上

0811会報

「下山後の入浴について一考」              匿名氏

 

下山後の入浴は、本当に気持ちが良いハズであるが、そうでない場合もある。

私も時間さえ許せば入浴を楽しむ。しかしながら心から楽しめない。「あのこと」があるからである。私の拙い文章ではなかなか的確なる表現が出来ないので「本田勝一」氏のエッセイ集の一文を一部お借りしながら述べる。

「あのこと」とは日本人のかなりの部分が湯舟に入るときにシリを洗わぬということである。見ているとまず七割くらいの人が単に湯舟の湯をタマにザーとかけるだけで、あれで洗ったつもりのまじない程度しかないのだが、そのままドボンとはいってくる。石鹸をつけてコーモンや前をちゃんと洗ってから入る客などたぶん三割以下だろう。山ではウオシュレットなど気のきいたものは無いので、クソのあとはチリ紙で拭く。いくら一生懸命拭いても、クソのカスはゼロにはならない。ニオイさえもなくすることは不可能である。おまじない程度の湯をかけるだけではクソが落ちるはずも無いから、こういう人は湯舟のなかでクソがふやけて湯の中にとけこむだろう。おまけに汗が乾いてふきだした塩とアカも一緒にとけこむ。「あ〜天国、天国」とうなる人は、この現実が理解できていないか、肥溜めに愛着のある人であろう。ウグイスのクソは美肌に薬効があるとかいう話だが、人間のクソのまじる肥溜めのような湯舟に何らかの薬効は期待できない。

日本人の多くが高温の湯を好むのは、熱ければそれだけ大腸菌その他の死滅する割合も増えるかも知れないというはかない抵抗の表れかも知れない。

我が福山山岳会も平均的日本人なのでこの例からもれる事は無いが、これから心を入れ替えていただく事を切に希望する。

 

08.10会報

           アララ派 ゴメンナサイ

針ノ木縦走に寄す

またやった宵越し急登のこむら返りも

治療あざむく 全山縦走

口遊(くちずさ)ぶ山を想へば人恋し

駒草見惚(みと)れ 彼の人想う

水芭蕉思い出さすな幼き夏

シャクナゲるな コサクサるなよ

    夏雪渓下りは楽し涼しくて

落石迫り来 肝冷えて

藤井和之

 

 

二〇〇九年 カレンダーフォト俳句     江種 幸男

表紙  紫の峰くっきりと梅雨(つゆ)は明け     富士山


一月  青空は一瞬(いっしゅん)だけの吹雪かな      大山


二月  今我は霧氷(むひょう)輝く中に在り       由布岳


三月  瀬戸なぎて梅香(ばいか)ただよう昼さがり   鞆


四月  吉野路に秀吉偲(しの)ぶ山桜        吉野山


五月  残雪を惜しむが如き岳(と)友(も)ふたり    八ヶ岳


六月  木道を行く影忙(せわ)し尾瀬の初夏     尾瀬ヶ原


七月  ブナの森日がな一日緑(みどり)雨(あめ)       比婆山


八月  滝落ちてしばし思案(しあん)の沢登り     坂瀬川


九月  ザック背に寝転(ねころ)んで見る天高し    吾妻山


一〇月  祖谷渓(いやだに)の秋日さえぎる巌(いわ)の尾根    三嶺


一一月  踏み入れば修験道あり照(てり)黄葉(もみじ)     裏大山


十二月  冬日向(ふゆひなた)ただ一点に瀬戸の海      筆影山

 

                

08.08会報

随想G  雪岳山(ソラクサン) 

 綿谷 弘志

朝鮮半島を分断している38度線の約30km南、韓国領に位置する雪岳山(ソラクサン)は標高1,707m。韓国で一番美しい山と愛でられている。韓国の夏は猛暑、冬は氷点下20度前後の厳しい環境だが、秋は日本の秋と同じ気候で紅葉が美しく特に雪岳山(ソラクサン)は日本では考えられない程、膨大な数の登山者が詰め掛けて美しい秋を楽しむ。

30数年前、日本の青年達が雪岳山へ登った。360度の素晴らしい眺望を楽しんだ直後に、「コンロ」が爆発し一人の日本人青年が全身に大ヤケドを負った。偶然、その場に居合わせた韓国の青年達のリーダーが決断して、一日掛かりで瀕死の日本人青年を背負って救助した。

全身包帯で包まれた青年を日本に運ぶには狭い飛行機の座席4人分を占領する。しかし若い彼らに余分の金は無かった。日本人青年達のリーダーは航空会社の担当者と交渉し、無料で座席4人分を確保した。

その時、全身に大ヤケドを負ったのは、現、広島県岳連理事長の 山田雅昭氏。

その時、無料で座席4人分を確保したのは、現、広島県岳連会長の 長谷川忠彦氏。

その時、彼を背負ったのは、現、韓国大邸(テグ)広域市山岳聨盟会長の 權成赫氏。

この方達と同席させて頂く機会を与えられ、意義深い一夜を過ごす事が出来た。呑むほどに酔うほどに話に花が咲き、心地よい雰囲気の中で私は来年迎える「福山山岳会発足90周年記念事業」の一環にと、漠然と考えていた「近場の海外の山へ仲間達と登りたい」という夢みたいな想いの方向性が見えた感じがした。

広島市と大邸(テグ)市は姉妹都市であり、必然的に広島県岳連と韓国大邸広域市山岳聨盟の繋がり、交友関係は深く長い。それはそれで喜ばしい事であり、我々もその事を共有している。

大邸市のやや西、日本海側に「浦項市」が位置するが、この「浦項(ポハン)市」が福山市と姉妹都市縁組している事を今回初めて知った。しかも来年が姉妹都市縁組30周年の佳節を迎える。周知の通り福山山岳会は来年で発足90周年を迎える。

30年前、両市の姉妹都市縁組の時、福山山岳会と浦項山岳会が交流している。浦項を訪れた福山山岳会会員は12名。当時の会長、立花氏を筆頭に元会長の鈴木氏、小土井氏、現会長の山内氏を初め、現在も現役で活動されている藤井繁氏、黒飛氏、等々。その時の登山記録の詳細を拝見する時、浦項山岳会の誠意溢れる歓迎ぶりと12名の会員の心情、心意気は感動に溢れている。三ヶ月後に浦項山岳会の15名が日本に来られた。福山山岳会は返礼として富士山に案内したのである。その時のリーダーは鈴木氏、サブリーダーを勤めたのは黒飛氏、他に小土井氏、山内氏、藤井繁氏、等15名の諸先輩であった。

この記録を拝見し強く感じる事は、福山山岳会90周年記念と福山市と浦項市の姉妹都市縁組30周年記念が合致する来年は、我が福山山岳会と浦項山岳会が30星霜の歳月を越え、旧交を温め、お互い山を愛する仲間として笑顔で握手を交したい。

秋の雪岳山は記念すべき儀式に相応しい最高の舞台になるのではと思います。

90周年記念事業の一環の「海外の山行」「韓国の山行」に挙って参加しようでは有りませんか!

* 具体的な事柄については後日お知らせ致します。

以上

08.07会報

短 歌

アララ派 藤井和之

(蔵王山の手入れの労に頭を垂れて)

茂草を刈り払いし林道に

   残せしアザミ凛と咲き誇る

登り道に刻(きざ)みを掘りし世話人の

   思いしのばるる年令(とし)になるかも

こもれ日の樹間駆け抜く薫風を

   我れ一人享くアフターファイブ

(因島のミカン山で初めてミカンの花を見て)

♪ミカンの花が咲いていた♪

   歌詞でつい知る団子派の花

俳 句

トラノオ江種幸男

【春】

 振り向けば足跡埋める春の雪

 春の雲槍の穂先のなお高く

 川舟の影まだ寒い夜明けかな

 坪庭に広がる宇宙散り桜

【夏】

 姿消え声で位置知る緑(りょく)霧(む)かな

 よくもまあ登りしものよ富士の影

 一点の隠しもせずに夏の山

 ガス飛んで山小屋近し笑み浮かぶ

【秋】

 ザック背に寝転んで見る天高し

摘み取った野菊投げ置きティタイム

 評判の色白美人案山子かな

 かさこそと落葉の音色(ねいろ)山歩き

【冬】

 雪晴れてしばし見惚れる穂高かな

 雪山をピンクに染めて夕日落ち

 遠山を浮かべて静か冬の雲

 寒天や言葉のいらぬ夫婦かな

08.06会報

お土産いっぱいの鷲ヶ頭山 例会山行

福原 不二雄

平成20年4月20日、鷲ヶ頭山例会山行は前日までの雨も上がり快晴の天気に恵まれ、ワラビ狩りを堪能した山行でした。3年前の山火事の跡は年毎に植林地域が拡大され、森林復活にかける島民の熱意が感じられます。登山道周辺に黒々と林立する木々もその根元には、ひこばえが芽吹き、たくましくワラビや草花も芽を出しています。一本見つければその周辺には何本ものワラビが生えている。それではついでにいただきますと手が出て休まる暇がありません。時間もあり急ぐこともないしワラビの誘惑にはかないません。登りはワラビ狩りに徹することにしました。

他にも臨時の植物観察グループもでき、色とりどりの花や草の名前を学習していました。また地図の勉強するグループもありました。「現在地はどこかな、高度計では○○m、この谷、あの尾根の地形から考えると現在地はここです。はい正解!良くできました。」

皆かなり上達しました。生徒から先生への脱皮する日もまもなくです。

 今日の参加者は22名です。3人の方にサブリーダー(S.L)をお願いしました。

先頭のSLは地元出身、大先輩の越智修三氏、島の歴史や生活、子供のころの遊んだ思い出等々を話されました。中間のSLは元気な若手の橋本博明氏、急坂にあえぐ高齢者のザックを持ちしっかりサポートしてくれました。最後尾は同輩の佐藤律夫氏、ワラビ狩りに夢中で方々に散らばる仲間をしっかり監視、地図読みに熱中し遅々として進まぬ仲間にも嫌な顔をせず、じっと耐えにこやかに見守ってくれ見事最後尾の役目を果たしてくれました。こうなるとチーフリーダーの私の仕事はありません。ワラビ取り、植物観察、地図の手伝い等蝶のごとく会員の中を飛び回っていました。

両手いっぱいのワラビはザックに収め、帰路は鎌や鋸を手に入日の滝への下山道の整備に専念していただきました。入日の滝への入り口は木々が伐採され様相が一変していました。近日中に道標を設置しようと思います。下山道は山火事のため裸地となり、もろい岩交じりの下り道は滑りやすい。電柱に沿い稜線を下る。

下部の入日の滝周辺の樹林帯や藪は私が今年の正月伐採、整備していたので快適に歩けました。

大半の会員が入日の滝に着き休憩していると、最後尾の会員から「高齢の会員が転倒したのでサポートするよう」要請が携帯電話に入った。「しまった」。一瞬後悔の念が沸く。入口の急坂を下る高齢者の方の足元の危ういことは見て知っていたのだから危険箇所には用意してきた残置用ロープを張って安全を確保すべきであった。

後の祭りである。直ちに背負って下りる支度をして6人の男性会員と救援に向かう。他の会員は予定通り先に進むよう指示する。滝上の岩場で合流、幸い怪我はなく自力で下山されていたが足元が悪いので橋本SLが寄添い、腰のベルトをつかみ支えて下山してくれました。

救助隊(?)が下山すると意外にもお堂の前でみんなが待っていてくれて、温かい大きな拍手で迎えてくれました。このお堂を管理している老婦人と1年ぶりの再会を果たし、暖かいお茶やお菓子の接待を受けみんなの疲れも吹き飛んだようです。高齢者の会員はみんなに迷惑をかけたとしきりに恐縮しておられたが仲間ですから少しも気にすることはありません。時間も余裕があるし、歩行速度が遅く支障があればコース変更をすればよいのですから。

橋本SLは最後まで寄添いサポートしてくれました。助けてあげているという気負いを少しも感じさせない有様に私は嬉しかった。多分みんなも同じ思いではなかったでしょうか。

「若手もいずれと年を取る。その時してほしいことを今している」 私にはそのように感じられました。

越智SLからは真心込めて作られた沢山の八朔を土産にいただきました。

ワラビと八朔、それに仲間の温かい思いをザックいっぱいに持ち帰った鷲ヶ頭山例会山行でした。

以上

 

 

 

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