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2006年 第5回奈良万葉の山旅

2006年11月25日(土)〜11月26日(日)        

Web Photo

06年万葉の山旅TOP

万葉の山旅に寄せて

万葉の山旅アラカルト

龍田越え

春日山原始林

講評 L 福原不二雄

参加者の感想

参加者 

万葉の山旅 第5回

平成18年11月25日 晴れ

着時間

発時間

場所

備考

着時間

発時間

場所

備考

6

30

 

 

福山オート観光

 

12

20

13

00

昼食

桜並木

7

00

 

 

福山駅北口

 

13

10

13

15

亀の瀬

 

7

10

 

 

福山東IC

 

13

20

13

30

峠八幡

 

7

40

7

50

吉備SA

 

13

50

14

10

龍田大社

 

9

00

9

10

三木SA

 

15

40

16

30

平城京跡

 

10

10

 

 

藤井寺IC

 

16

40

 

 

大仏館

 

10

40

11

05

龍田大社

トイレ・参拝

18

30

 

 

夕食

 

11

25

11

25

第1休息所

 

 

 

 

 

 

 

11

40

11

45

三室山展望台

 

 

 

 

 

 

 

 

平成18年11月26日 曇りのち雨

着時間

発時間

場所

備考

着時間

発時間

場所

備考

6

30

 

 

朝食

 

11

20

 

 

鶯滝分れ

 

7

15

 

 

出発

 

11

150

12

35

若草山

 

7

20

 

 

春日大社

 

13

15

13

20

春日大社

 

8

22

8

30

白毫寺8

 

13

20

14

30

自由行動

大仏見物

8

35

8

50

トイレ

 

14

50

 

 

出発

 

9

15

9

25

火床

 

15

30

15

40

ローソン

 

9

47

 

 

高円山ホテル

バス使用

16

50

17

10

三木SA

 

9

53

 

 

茶屋入り口

 

17

55

18

05

福石PA

 

10

05

10

10

首切地蔵

 

18

50

19

00

道口PA

 

10

40

 

 

鶯滝分れ

 

19

20

 

 

福山東IC

 

10

55

11

10

鶯滝

 

19

30

 

 

福山駅北口

 

 

記録 原田千枝子

 

 

万葉の山旅

「あすか」「やまと」という言葉を聞くたび胸が高まり熱くなる。

初めて飛鳥、大和に行ったのはいつだったか

その時の印象は桃の花咲く美しい里の思い出でした。

奈良から大阪へ抜ける狭い国道を通り、山越えしたとき全山ピンク一色の桃畑に出会いました。

一面に広がるあまりのすばらしい景色にしばしみとれていました。

静かな山里の風景、森際の農道、小さな小川の流れ、今ではめずらしくなったのどかな田舎の風景が「あすか」には残っている。

初めてきたのだけれども心の中にかって見たような風景、そのなつかしい残像が残っていて初めて来たという気がしない。

日本人の心のふるさとといわれる所以でしょう。

いつ来ても佇んでいたいと心が洗われる気持ちです。

同じころラジオで犬養孝先生の万葉集のお話を聞きました。

あのお年寄りがかくも情熱を持つて話をされる、節をつけて朗詠される。万葉集とは何だ。

激しい感動が胸を打つ

万葉集とはかくも素晴らしいものか、飛鳥は万葉集そのものです。

行き着くところに万葉人の足跡が残っている。万葉の歌が残っている。万葉人の心が残っている。  

万葉の心を探して大和の里と山を歩きました。

仲間にも万葉集、あすかのすばらしさを知ってもらおうと万葉の山旅を始めました。

今まで4回実施しました。

その折々の思い出を書きます。

 

第1回山辺の道と天の香具山、あすか銀座

大和盆地を眺めながら歩くのどかな畑中の道、山辺の道、環濠集落、雄大な御陵もすばらしかった。

一番感動したことは翌日早朝に登った天の香具山の出来事です。

香具山に登り、宿舎に帰るコースのリーダーを地図の勉強のため三好行平さんにお願いしました。

左に曲がるところ彼は直進しました。

私は間違っていたことはわかっていたが黙っていました。しばらく歩くと「磐余の池跡」の看板がありました。

ここがあの「磐余の池」か・・あの大津皇子がここでなくなったのか、しばらく感動のあまり身動きできませんでした。

大津皇子と姉の大伯皇女の物語は私の一番好きな話です。すばらしい歌が残されています。

私が恋焦がれていたので大津皇子が呼んでくれたのだと思いました。

念ずれば思いは必ず通じると確信した次第です。

「ももづたう磐余の池に鳴く鴨の今日のみ見てや雲隠りなむ」

 

第2回二上山から金剛山、葛城山と葛城古道

ダイヤモンドトレイルとして代表的な大阪県境のよく歩かれているコースです。飛鳥へのいくつもの峠を越えるアップダウンのきついコースでした。鴨料理のおいしかったこと、佐藤宇源さんが迷子になったこと。いろいろ勉強になりました。

 

第3回飛鳥から芋峠、津風呂湖、喜佐谷から吉野

この日は奇しくも阪神大震災後初めて山陽本線が全線開通した日の一番列車でした。目を覆う惨状でした。黙祷して神戸の街を通過しました。

このコースは大海人皇子が吉野に逃れた足跡を尋ねるものです。大津の宮より吉野までわずか2日で逃れたこと。女子も同行してとのことですから驚かされます。「虎に翼をつけて放てるなり」といわれたのもうなずけます。古代の風俗が残る粕淵、なつかしい飛石の岩橋、健脚組は芋峠から竜在峠を目指したが途中で迷って引き返したこと。そのとき上原さんが歌を歌い皆を励ましてくれた心遣いも忘れられない。萩原さんがバスで芋峠まで迎えに来てくれたのも忘れられない。大伴旅人が死ぬまでにもう一度見たいと願った喜佐川の清流、霧の中に白く流れるさまを見たときはあまりの美しさに涙がでました。

「むかしみし象の小川を今見れば いよよさやけくなりにけるかも」

「わが命も常にあらぬか むかしみし象の小川を行きて見むため」

 

第4回日本のマッターホルン高見山、大宇陀から音羽山、龍在峠を経て談山神社

ガイドブックにも、一般の人にも知られていない秘密のコースです。おりしもNHKの大河ドラマのタイトルバックとなった又兵衛桜の美しさ、初めて参加したわが妻もご満悦でした高見山の麓を通る伊勢街道の峠には馬酔木がたくさん生えていました。
大伯皇女の歌が思い出されます。この急坂を姉に会うため大津皇子は伊勢に通ったのだ。

「我が背子を大和に遣るとさ夜ふけて暁露にわ我がたち濡れし」

「二人行けど行き過ぎがたき秋山をいかでかきみが一人こゆらん」

伊勢神宮の斎主を解かれ、上京するとき詠んだ歌

「磯の上におうる馬酔木をたおらめどみすべき君がありといわなくに」

彼らと同様、姉と二人の私にはその心情はよく理解でき、つい彼らに準えてしまいます。

 

万葉の山旅 第1回の写真です。

87年ですからもう19年前の写真です。高橋会長、三好行平、加島、金山、佐藤、坂本、門田、平田・・・・
皆若いですね。

 

 

万葉の山旅 アラカルト

万葉集とは

万葉集は全部で20巻4500首、天皇、貴族から兵士、農民まであらゆる階層の歌が納められています。

舒明天皇の時代(629年)から淳仁朝、天平宝字3年(759年)まで約130年間の歌が大部分です。

はじめの歌は雄略天皇の求婚歌で祝福されて始まっています。

籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串持ち この岡に 菜摘ます子 家告(の)らせ 名告らさね  

  そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居(を)れ しきなべて 我こそ居れ

  我こそは 告(の)らめ 家をも名をも 

最後は大伴家持の新年を寿ぐ歌で閉じられています。

  新たしき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)

鞆の浦は何首も載っているが、福山からは厳山観音のところに歌碑がある下記の歌が載っています。

 道の後 深津島山しましくも 君が目見ねば 苦しくありけり(11―2724) 

母は強し

歴史は勝者の記録であり、その行為は正当化される。

風評、讒言でも証拠として採用され、蘇我倉山田石川麿、長屋王など多くの人が罪せられた。

持統天皇も息子の草壁皇子を天皇にするため姉の子であるライバルの大津皇子を陰謀により抹殺した。

姉の大伯皇女も伊勢神宮の初代斎主に任じ、後援者を失くし、力を削いだ。

女帝の時代

古代には推古女帝をはじめ、皇極(重祚して斉明)、持統、元明、元正そして孝謙(重祚して称徳)と女帝統治は万葉130年のうち34年間と長い期間が続いたが 女帝は「中天皇(なかつすめらみこと)」とか「中継ぎの天皇」と呼ばれ男帝を立てられないときの臨時の措置であって、こんにちまで,125代のうち女帝は10代、またうち8代がこの時代ですから如何に不安定な時代であったか想像できます。

その原因は、その時代の女帝の機微をうかがう廷臣が登場し、政治が混乱(?)複雑にした。

持統、元明、元正の時には藤原不比等が政治の実権を握り娘を天皇に嫁がせ、親戚となった。

孫の藤原仲麻呂は内廷、外廷の全ての権力を握り天皇家をしのぐ勢力を持ち、自分の孫を天皇(淳仁)にした、だが、道鏡を愛しはじめた孝謙女帝と不仲になり、反乱を起こし殺され、淳仁天皇も淡路島に流され悶死した。

道鏡も女帝の死とともに失脚した。

文学で名を後世に残す

司馬遷は不遇な境遇をばねにして「史記」を書いたといわれている。

家持も現実生活では藤原家に敗れ没落したけれども、せめて歌の道で後世に名を残そうとしたのではないかと思います。

 因幡の新春の歌以後歌は詠んでいないが、編纂に尽力し桓武天皇の初期時代(783年頃)に今日の形に集大成された。785年死亡。

龍田の由来

峠の雁多尾畑(かりんどばた)には古代の製鉄所がありました。製鉄のとき出るノロも残っています。

製鉄には「風」が不可欠でありここはその風のとうり道でもあり、龍田神社は「風」を神様にしていることからも推測される。

名前も赤々と燃える製鉄の溶鉱炉の焔が龍の目の如く見えたことに由来するとも言われています。

御調八幡宮とのかかわり

宇佐八幡宮の「道鏡を皇位につけよ」というご神託を確認に行った和気清麻呂がそれを持ち帰らなかったというので大隈国に流罪になり、姉の広均尼(和気広虫姫)は備後国に流された。

そこで、姉が弟の無事を祈願し宇佐八幡宮を祭ったのが御調八幡宮のはじまりです。

道鏡の敵は味方というので藤原氏が援助したというのですから複雑です。

道鏡、藤原家、和気家の力関係、勢力争いがあったのでしょう。

御調八幡宮が道鏡の事件と関連があるというのも面白いですね。

朱雀門(すざくもん)

平城京の入口のある羅城門から巾約75mの朱雀大路が北へ延び、4キロほどのところに平城京の正門である朱雀門がそびえていました。平城京を囲む築地塀には12の門がありました。

普段開閉していたのは朱雀門を除く11の門で朱雀門は外国使節の送迎や正月儀式のときにのみ利用されていました。高さ5mの築地塀が平城京を囲んでいました。1998年に復元されました。

万葉集は恋の歌が多い(?)

激しい恋の歌もあれば純愛、夫婦愛、家族愛をうたった歌もあります。

歌は心の激情、感激をよんだものですから、よろこび、悲しみを歌にするのは人間の自然な心情でしょう。 

昔は封建的で自由にものが言えないと思っていたが、この時代女性も自分の意思表示をはっきり表現されているのには驚かされます。

天皇(すめらみこと)(天智天皇)、蒲(が)生野(もう)に遊猟(みかり)したまう時、額田王(ぬかたのおおきみ)が作る歌

あかねさす 紫(むらさき)野(の)行き標(しめ)野(の)行き 野守は見ずや 君が袖振る(1-20)

皇太子(ひつぎのみこ)(大海人皇子)の答えたまふ御歌

紫(むらさき)草の にほへる妹を憎くあらば 人妻ゆえに 我れ恋ひめやも(1-21)

大津皇子 石川郎女(いしかわのいらつめ)に贈る御歌

あしひきの 山のしずくに 妹待つと 我れ立ち濡れぬ 山のしづく(2-107)

石川郎女 和(こた)へ奉(まつ)る歌

我を待つと 君が濡れけむあしひきの 山のしづくに ならましものを (2-108)

日並(ひなみしの)皇子(みこの)尊(みこと)(草壁皇子) 石川郎女に贈り賜ふ御歌

大名児(おほなこ)を 彼方(をちかた)野辺に 刈る草(かや)の 束(つか)の間も 我れ忘れめや (2-110)

中臣(なかとみの)朝(あそ)臣宅(みやか)守(もり)、狭(さの)野(の)弟上娘子(おとがみのおとめ)と贈答する歌

君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ほさむ 天の火もがも (15-3746)

塵(ちり)泥(ひじ)の 数にもあらぬ我ゆえに 思いわぶらむ 妹がかなしき (15-3749)

我(わぎ)妹子(もこ)が 形見の衣 なかりせば 何物もてか 命継がまし (15-3755)

武蔵の国の歌

多摩川に さらす手作りさらさらに なにぞこの子のここだ愛(かな)しき (14-3390)

信濃の国の歌

信濃なる 千曲の川のさざれ石(し)も 君し踏みてば 玉と拾(ひろ)はぬ (14-3418)

子を思ふ歌

銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝れる宝 子に及(し)かめやも (5-803)

 

 

龍田越え

都から大阪へ峠越えする道は飛鳥に都があるときは二上山の北を越える穴虫峠か南側を越える竹内峠が主流でした。

しかし、都が北は移り藤原京、平城京になると峠越えの道も北に移り、大和川の傍を越える龍田越えか生駒山の肩を越える暗峠が主流になった。

奈良と大阪を隔てる金剛、葛城山、生駒山の山塊をつき破って流れる川が大和川であり、その亀瀬は両岸は険しく、川は巨岩が露出し、流れは激しく川面を白く波立てて流れている。

峠越えの道は、氾濫する川沿いを避け、中腹に付けられている。

この亀瀬地区は大規模な地すべり地帯であり麓を走る関西本線も地すべりのため線路を付け替えたほどである。

かっては桜の名所であったが今は一面葡萄畑が広がっています

 

百人一首には次の二首がありいずれも紅葉の素晴らしさを詠んでいる。

ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くくるとは    在原業平

嵐吹く三室の山の紅葉葉は 龍田の川の錦なりけり         能因法師

 

万葉集にも多くの歌が詠まれています。

白雲の 龍田の山の 滝の上の 小按(おぐら)の嶺に 咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨の 継ぎてし降れば ほつ枝は 散り過ぎにけり 下枝(しづえ)に 残れる花は 

しましくは 散りな乱(まが)ひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで(9-1751)

反歌

我が行きは七日は過ぎじ龍田彦 ゆめこの花を風にな散らし(9-1752)

 

妹が紐解くと結びて龍田山 今こそもみちそめてありけり(10-2211)

秋されば雁飛び越ゆる龍田山 立ちても居ても君をしぞ思う(10-2294)

神南備の磐瀬の杜の呼子鳥 いたくな鳴きそ我が恋まさる(8-1419)

 

龍田越え(地すべり地帯)

亀瀬の流れ

龍田大社

 

 

 

 

 

春日山原始林

春日山原始林は花山(標高498m)を中心に南に香山(高山)、西に御蓋山(283m)など含む春日大社の背山一帯を指します。

春日山は古代より神の住むとして敬われ、承和8年(841年)3月1日に神山として狩猟と伐採が禁止され、以来春日大社の聖域として保護され、1100年以上も人手の加えられていない原生林が保たれて

います。

広さは約300ha、カシやシイ類などの常緑広葉樹林が主体となっています。2002年に行われた巨樹・巨木調査(地上1.3mで樹廻が3m)では巨木1425本が確認され、その数は日本一といわれています。

また貴重な植物やシダ、コケ類、珍しい鳥類、1000種以上の昆虫が生息しています。

 モリアオガエルやカスミサンショウウオなどの珍しい生き物も生息しています。

春日山は人とのかかわりにおいて、山や自然そのものを神とする日本古来の神道を現すものとして、また春日大社の社叢として保護されてきた経緯により古都奈良における文化的景観を構成する資産として自然遺産でなく文化遺産として世界遺産に登録されました。

 因みに世界遺産「古都奈良の文化財」には他には、東大寺、興福寺、春日大社、元興寺、平城京跡

薬師寺、唐招提寺の七か所が登録されています。

尚、この山域は御神域として立ち入り禁止となっており、遊歩道や奈良奥山ドライブウエイを歩きます。

奈良奥山ドライブウエイは高円山から若草山まで約13キロの距離がありますが、歩くことの出来る世界遺産の登録地域内のドライブウエイは約5キロ、この部分だけは未舗装道路ですが良く整備され、天は原始林の巨木に覆われ最高のハイキング道です。

処々に消火栓も設置されています。

この春日山を詠んだ歌は枚挙に暇ありませんが良く知られた歌は・・・・

春の野に すみれ摘みにと 来し我ぞ 野を懐かしみ 一夜寝にける

山部赤人

天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも 安倍仲麻呂

奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は哀しき   猿丸太夫

雨の鶯滝

煙る若草山山頂

 

 

万葉の山旅 第5回

 龍田越え・高円山・春日山原始林

 

 

講評                                CL 福原不二雄

春日山はともかく知名度の低い龍田越え・高円山にこのように大勢の人の申し込みがあるとは予想外でした。

備後地方の文学的風土の豊かさを再認識いたしました。

今回の山行はすべて順調に推移し、けが人も落伍者もなく特記すべ問題点もなく充実した山行でした。

天候にも恵まれ、参加者全員よく協力し集合、点呼もスムーズで迅速な行動ができました。

快調なペースで歩けたことは日ごろの鍛錬の賜物でしょう

大人数のためトイレの時間をかなり要したがこれは施設の関係上仕方ないことであろう

41名中、ご夫婦での参加が4組ありました。一緒に感動を共有することは互いの理解も深まり素晴らしいことです。今後も夫婦、家族での参加が増えればよいと思います・

天気図にも関心を持ちましょう。気圧配置を頭に入れ天気の推移を自分なりに予想し、観天望気で現状を確認する。

関心を持てばおのずと頭に入ります。まず慣れましょう。

各人、リーダー任せにせず地図で現在位置を確認しながら歩くことを習慣としましょう。

何が必要か、使う順番、行動を考えすぐ出せるようにパッキングしましょう

地形の影響と思いますが滝坂コースと高円コースが無線交信も携帯電話も通じなかった。

このような充実した山行ができるということは会員のレベルの高さを示すものでしょう。

ご協力ありがとうございました。

 

 

 

参加者の感想

2日間の素晴らしい奈良の山と紅葉、本当に大満足の山旅でした。古都奈良のこのような素敵な紅葉にめぐり合えたこと感激の連続でした。皆さんありがとうございました。 (溝部幸恵)

奈良の都の紅葉ばは、その続きを考え中 (今田悦子)

歩いてみる奈良 三室山。登ってみる奈良 高円山 (三好行平)

素晴らしい紅葉に満足、皆様に感謝 (渡辺節子)

参加者41名の多数にもかかわらず.予定時間どうり進み事故もなく楽しい山行ができた。

古都の歴史があふれる奈良の山を歩けたのは大きな収穫でした(綿谷弘志)

 

春日山原始林の紅葉、万葉の和歌が詠まれたときもしのばれる様で言葉にならぬほどの感動を味わいました。

入会後初めての参加で思い出に残る山行で幸福でした。(得納笑子)

久々の山行、つつがなく終え感謝しております。

古都奈良の秋を満喫し明日から再び頑張ります。ありがとうございました。(横路裕見子)

今年の紅葉はどこも大変きれいでよかった(河本幸江)

古都奈良の山行は2回目です。今回も思い出に残る楽しい山行でした。(江種幸男)

一度行って見たいと思っていた滝坂の道を通ることができました。石仏もバッチリ撮りました。(高垣隆光)

 

一人ではとても体験できないコースを仲間とともに親しみ思い出作りができました。

会長の企画に感謝。 (世良 元)

山仲間と楽しく古都奈良を歩きました。思い出ができたことを感謝です。

又の企画を宜しくお願いします(瀬良悦男)

久しぶりの山行、楽しかったです。(藤井正志)

25日の龍田越えの道、26日の石仏の道。楽しい奈良路でした。(市来洋子)

何年振りでしょうか。奈良の山旅、季節は違いましたが、数年前の桜の頃を思い出し福原さんの奥様のことを思い出しました。奈良に来るといつも感じます。もみじ、紅葉きれいでした。楽しい山仲間、本当に山岳会の仲間は素晴らしい。皆さんお世話になりありがとうございました。(本田悦美)

紅葉の奈良に感動しました。山岳会の皆さんは楽しい人ばかりで気持ちよく過ごせました。楽しい2日間会長をはじめ各役員の方に感謝します。次回を楽しみにしています。(森山益収)

久しぶりに山行に参加させていただきありがとうございました。奈良の美しさに感動しました。(森山睦子)

歴史あり、デジカメ講習会あり、それに素晴らしい紅葉、次も楽しみにしています。

皆様お騒がせいたし申し訳ありません(上原寿美子)

今回の春日山原始林の山行、参加させていただき本当にありがとうございました。

参加が決まった日から私は長い眠りから覚め、毎日がうれしくて・・・待ちどうしくて・・・皆さんに会える

  • ・山を歩ける・・・と希望の日々でした。(大げさでなく本当にそんな気持ちでした)

家庭の事情や体調不良でしばらく山と遠ざかっている間に改めて山と出会えた・・、・福山山岳会に出会えた

皆さんに出会えた・・・感謝でいっぱいです。皆さん素晴らしい奈良の紅葉をありがとう。(南妙子)

リーダー、会長ありがとうございました。満々たる万葉への思い入れを我々にも心底からの心遣いで紹介していただき深謝しています。(斉藤楠輔)

あおによし ならの都は・・・いつも口づさんでいた万葉集。やっと 長い間あこがれていた古の都へとロマンをつむぐことができました。敷き詰められた色とりどりの路 上品な木の朱雀門和やかな大和の山々。夢見ていたとうり素敵な山行でした。本当のどうもありがとうございました。(山本マチ子)

久しぶりの奈良に来られて、また紅葉のすばらしさ 満足しました。

皆さんありがとうございました。(原田千枝子)

 

 

参加者                              

 

役務

氏名

 

1

CL・2班無線

福原 不二雄

 

2

1班・SL無線

三好 行平

 

3

 

山本 マチ子

 

4

 

横路 裕見子

 

5

 

中澤 昌子

 

6

 

重東 洋子

 

7

 

今田 悦子

 

8

 

池上 和美

 

9

 

川本 美弥子

 

10

 

那須 恵子

 

11

2班SL

溝部 幸恵

 

12

 

木村 テル子

 

13

 

市来 洋子

 

14

 

福田 正夫

 

15

 

藤井 正志

 

16

滝坂L/写真

大野 一夫

 

17

 

向井 久人

 

18

 

向井 都志子

 

19

 

河本 幸江

 

20

 

瀬良 悦男

 

21

記録

原田 千枝子

 

22

 

信原 圭佑

 

23

 

本田 悦美

 

24

 

渡辺 節子 

 

25

 

得納 笑子

 

26

写真・無線

江種 幸男

 

27

 

江種 美代子

 

28

 

桑田 睦江

 

29

3班SL

綿谷 弘志

 

30

ホームページ

高垣 隆光

 

31

御陵L/写真

斉藤 楠輔

 

32

 

下田 忠

 

33

 

中山 満冶

 

34

 

中山 明子

 

35

 

世良 元

 

36

 

森山 睦子

 

37

 

森山 益収

 

38

無線

上原 寿美子

 

39

 

楢原 恵子

 

40

4班SL・会計

 南 妙子

 

41

会計

小野 美佐子

 

 

 

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